織田信長の史跡を巡ってきました!

歴史の旅

信長を巡る旅に出かけました。

趣味旅俱楽部の第1回目の史跡巡りの旅です
歴史好きな人が集まって下さり旅を楽しみました(^^)
案内人は西野慎祐さんです

スタートは村木砦

村木砦


村木砦の戦いとは、桶狭間の6年前、初めて鉄砲を使った村木砦の戦い
1554年(天文23年)現在の東浦町森岡における、「村木砦の戦い」の様子は「信長公記」が伝えています。その後、緒川城主水野信元は織田信長の天下への道・徳川家康の三河平定を助け、天下統一に大きな影響を与えました。その元となったのが、桶狭間の戦いより6年前の「村木砦の戦い」に他なりません

そして桶狭間へ

桶狭間


「桶狭間の戦い」は1560年(永禄3年)6月、駿河・遠江・三河の三国を制し、2万人とも4万5000人とも言われる大軍勢を率いて尾張に侵攻した大大名・今川義元に対し、圧倒的劣勢に立たされた織田信長が、3000人とも言われる寡兵で今川軍に勝利したという日本史上有名な戦いである。
ではなぜ、信長が10倍以上とも言われる戦力差を覆して義元を討ち取り、特筆すべき大番狂わせを起こすことができたのか。それは、偶然と幸運が重なった奇跡の勝利なのか?それとも信長の巧妙な戦略の勝利なのか?はたまた、義元の油断が招いた敗北なのか?今なお諸説入り乱れる、桶狭間の戦いの「謎」にが残るものでもあります

そして

桶狭間古戦場の絵地図

お昼ご案の前にもう1か所
雨の中でしたが、案内人西野さんのおすすめの城跡です

案内人西野さん一押しの沓掛城跡
本丸辺りから周りを見渡す

城跡は縁が大切
縁を観ないと、そのお城の価値がわからないと
西野さんの言葉
その言葉通り、沓掛城跡も縁から眺めた時、初めて
本丸からの見晴しの良さ、そして急こう配の坂が実感できました

から揚げはなんと骨付き
肉厚のステーキ

このボリューミーなから揚げ定食とステーキ定食
お腹も満腹になり、でもこのお店がとても魅力的でした

ご参加頂いたの男性からのご紹介での
鳥料理のみふねさん

2階にはギャラリーもあり、クラシックのライブもされているそうです

家族経営の暖かい雰囲気のお店でした
料理は、お漬物もご飯も美味しい
おばんざいも、もちろんメインディッシュも絶妙な塩加減で
全員が残さず食べ切りました♪
それくらい抜群の味でした(^^)

そして午後の行程は

名古屋に戻って大須の日置神社

日置神社


1560年、桶狭間の戦いに向かう信長は、夜明け前に清洲城(web)を出て、美濃路沿いを馬で駆け、まず榎白山神社で戦勝祈願をした後、この日置八幡にも立ち寄り、戦勝祈願をして「敦盛」を舞ったとされている。
 すぐ南には父・信秀が築城した古渡城(今の東別院)があり、信長は古渡城で元服しているので、日置八幡も馴染みだったに違いない。
 信長が清洲城を出たのが夜明け前、午前4時くらいだったといわれている。熱田社(熱田神宮/web)に着いたのが午前8時。美濃路を真っ直ぐ行けば13キロほどで、自転車を普通に漕いでも1時間ちょっとで行ける距離だ。それを信長は馬に乗って4時間もかけている。途中で何をしていたかといえば、あちこちに立ち寄って戦勝祈願をしている。もちろん、味方の合流を待つとか、戦況を見極めるとかもあっただろうけど、それにしてはのんびりしている。すでに清洲を出たときには信長の頭の中に勝利の方程式ができあがっていたのではないだろうか。
 榎白山神社で戦勝祈願をしたのは、織田家の守り神がどうやら白山神だったらしいことと関係がありそうだ。熱田の宮には草薙剣があるし、地理的にも味方と合流するのにちょうどいい。
 日置神社は馴染みがあったという以外にも男山八幡から八幡神を勧請して祀る八幡社だったこともあったかもしれない。

もちろんこちらも信長ゆかりの地

こんなモニュメントもありました

そして、最後は

清洲城

清洲城


織田信長は、同族の犬山城主・織田信清らと協力して、織田信友らを追放し、1559年、22歳の時に尾張を統一し、晴れて清須城主となりました。
1560年の桶狭間の戦いも、織田勢はこの城から出陣しています。
1562年には徳川家康と清洲同盟も結ばれています。
美濃攻略のため織田信長は、1563年小牧城を築くと本拠地を移しました。

清洲城は、ここから信長の天下への道が始まったところ
父親を亡くし、その逸話は歴史でも有名な事象です
青年期の信長はうつけ物と呼ばれていました。

信長の逸話


信長は、袴は着用していないうえ、長柄の大刀と脇差をわら縄で巻き、髪は茶せん巻きにした姿だったそうです。(今で言うと革ジャンにチェーンをチャラチャラぶら下げ、髪の毛は茶髪や金髪といったところでしょうか?)
その姿で焼香に立ったと思ったら、なんと焼香を鷲づかみにして、仏前へ投げつける始末。

多くの人が「あの大うつけが!」と非難しました。
『信長公記』によるとそんな中、筑紫から来た旅僧が「あの方こそ国持ちの大名になるお人だ」と言ったそうです。

一説には「あげまん」と言われる濃姫と信長の像(清洲)

旅の終わりは、見つめ合わない信長と濃姫の像
信長は何を見ているのでしょう
濃姫は何を思って、信長の元に来たのでしょう

歴史は知れば知るほど面白い
もっともっと知りたくなる
そして、限りがない
私が知りえる知識などしれているけれど、
そのロマンに触れるだけで
自分では経験できないことを
感覚的に楽しめる

そこが、歴史なのかもしれない
私が好きなのは
その過去に生きた人達のそれぞれの人生

何を思い、何を知り、何物になりたくて
生きたのか?

その人の人生をたどる時、
少しでもそれを感じられたらうれしい

織田信長については、
改めて史跡を巡りながら
私の想う信長像を創り上げたい

趣味旅俱楽部 第一弾、歴史の旅
「名古屋三英傑を歩こう 第1弾 織田信長編」
の、開催報告でした(^^)

次回、歴史の旅をお楽しみに

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