歴史と婚活シリーズ
歴史×婚活
歴史にみる夫婦の在り方
時代が変われば男女の関係性も違うと言われるが…
日本最古の恋愛長編小説と言われる
「源氏物語」
「源氏物語」を読んでいても
恋愛感は現代とそんなに変わらない気もする
表面的な決まりごとなどは変わるけれど
恋心とか愛とか
尊大なものは、意外と変わらないのかもしれない
源氏物語は平安時代のお話しで
長編小説
フェクションなのだけれど
光源氏のモデルはいると言われている
実際に、あんな色男がいたとしたら
平安時代はなんと良い時代だったのかと思う
平安の世に想いを馳せながら
今日の話しは平安時代の「待つ女」を
書いてみたいと思う
源氏物語
平安時代の言わずとしれた
長編恋愛小説「源氏物語」
『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。
下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』が完成した。
また現在、『源氏物語』は日本のみならず20か国語を超える翻訳を通じて世界各国で読まれている
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
この物語を読んでいると
平安時代の恋愛事情が垣間見れる
今とは、結婚の形態が全く違うが
その中で印象的なのは
女は「待つ」しかない状況
今日はこの「待つ」にフォーカスを当てたい
男を待つ女
源氏物語に出てくる
「光源氏」のお相手女性たちは
源氏が訪ねてくるのを待っている
いや、当時としては、それが当たり前で
女性にとって、恋愛はとても苦しいもので
あったように思われる
それが当たり前だったとしても
辛く切ない様子が
源氏物語から感じとれる
「世のはかなさを表した小説」と聞いたことがあるけれど
まさに「待っても来ない男を待つ女」にとって
はかなさを感じずには、いられなかったのではないだろうか
そして待つのは
ほんの1週間とかの話しではない
なんと5年でも、10年でも
待っているのだ
しかも、電話もない
ましてやメールなんでない
ただ、あるのは
手紙
そして、手紙の内容は和歌
光源氏が、愛する藤壺へ思いを伝えた時の和歌(藤壺はなんと義理の母)
~見てもまた逢ふ夜まれなる夢の中にやがて紛るる我が身ともがな~
(現代語訳)
お目にかかったとしても、再び夜にお会いすることは難しいでしょう。
今夜の夢の中にこのまま私は消えていきたい。
そして、会えない時は
こんな情熱的な和歌を送り続ける
そして、女は想いを募らせる
待つしかなくなる
待つのが辛くなって
心を病んだり出家したり
心を病むことを
「物の怪が付く」ってなったりする
当時は女は待つしかなかった
結局、自由に外に出られないから
結婚も親の決めた人と
そして、その親が権力のあるなしで
婚家も違った
現代の事情から比べれば
女性は、忍耐強くないと生きていけない時代
なにせ自ら動けないのだから
そして、最初のコンタクトは夜這い的に
男性が寝床にやってくる
(源氏物語では、なので、ほんとは違う?
いや、たぶんこの通りかと思う)
そして、その後は、来てくれるのは待つだけ
待ちくたびれて、心を病むことだってある
そうすると
「物の怪」のせいになる
それくらい、待つのは辛いのだ
そして、男は別の女の元へ出掛けていっているのだ
そりゃ、病むでしょ
現代と違って、そういう倫理観ってあまりなかったようだけど
嫉妬心は、今とそれほど変わらない気がする
女性にとって現代は天国
とはいえ、「待つ女」は多い
たぶん、それが美徳なのかもしれなけれど
現代は、待つことは課せられていないはず
で、あるなら
その利点を充分に使い
待つことなく、フラットな心でいる
待つのではなく、会いたい時は自分から行動を起こす
そうすれば、病むこともないし
以外に、上手くいかなくてもすっきりする
男女平等だと言うのだから
恋愛も平等で…
待つも待たせるもなく
この便利なツール達を充分に使いきり
連絡も会うことも密にして
待たない恋愛を楽しみましょう
今日も最後までお読み頂きまして
ありがとうございます
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