こんばんは
縁結びマイスター
杉浦由実です
今日は旅の話し
目次
彦根城へ行っていました♪

お城には登らなかったのですが
屋形船に乗りました

お堀を行く屋形船
船の中には案内人もつきます
このお城は江戸時代初期というか
関ヶ原から大阪冬の陣、夏の陣が
開戦するまでの間に築かれました
だから、実戦に強く作られてます
そして石垣も高い

今のほとんど当時のまま残る石垣、お城は
圧巻です!
そして、城主は言わずと知れた
井伊家
井伊家は
少し前の大河ドラマで取り上げられました
「おんな城主 直虎」
実際の史実の直虎は女性ということもあって謎が多く、幼名・生年月日不明で当時の肖像画も残っていないそう。ただ、井伊家が近江に移ってからの初代城主直政は養子
直政は直虎によって育てられた武術、そして勉学もしつけもされたと思う
井伊直政
戦国時代の武将・大名。井伊氏第17代または24代当主[注釈 3]。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。
徳川氏の家臣(家臣になった当時は外様)。遠江国井伊谷の出身で、『柳営秘鑑』では榊原氏や鳥居氏と並び、「三河岡崎御普代」として記載されている。また、江戸時代に譜代大名の筆頭として、江戸幕府を支えた井伊氏の手本となり、現在の群馬県高崎市と滋賀県彦根市の発展の基礎を築いた人物でもある。
徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。その一例として、滋賀県彦根市では、直政が現在の彦根市の発展の基礎を築いたということを顕彰して、「井伊直政公顕彰式」という祭典が毎年行われている。
直政は残念ながら彦根城には入ってません
でも、井伊家といえば直政なんです!
で、も一人
井伊直弼
幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主(16代藩主、13代当主という数え方もある[注釈 1])。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した[1]。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。
幼名は鉄之介(てつのすけ)、後に鉄三郎(てつさぶろう)。諱は直弼(なおすけ)。雅号には、埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、柳和舎(やぎわのや)、緑舎、宗観(そうかん)、無根水(むねみ、異字体:无根水)がある。大獄を行って以降は井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれた。
井伊家の有名人は革新的な人ばかり
おんな城主、直虎は直政の養母のようなものだけれど
直虎のもとで育った直政はとにかくすごい!
文武両道
賢いし、強い
で、そこに目をつけたのが
徳川家康ということ
豊臣家が西からくる
そんな時、西からの要衝の
井伊家を置いた
井伊の赤ぞろえは
竹田の残党の武将達を
一手に引き受けたばねた
そして、強固な軍隊を創り上げた
戦国に世、一世を風靡したのだ
徳川家臣団の中でも郡を抜いて
文に秀でている
彦根に行って
井伊直政のことを調べていたら
奥の深さに圧倒された
今日はここまで
また、研究続けます
もちろん、直弼のこともまた書きます(^^)
最後までお読みいただきありがとうございます
明日はこの続き書きます!