婚活でも生かせる「賢者は歴史に学ぶ」編をお話しします!

こんにちは

結婚して豊かな生活を手にいれる
ためのサポーター杉浦由実です

「賢者は歴史に学ぶ」

まずは、意味から

鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルク(1815年-1898年)の言葉です。
直訳は、
「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。
私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、
他人の経験から学ぶのを好む」

との、ことです

自分の経験だけで生きていると
世間が狭くなります

だから、私もたまには歴史の話しも
婚活に取り入れたいと思います

そして、現代にも通することをお伝えしていたいなと
思っています

 

偉人には魅力的な人がいっぱいいますので
そんな人を理想の人選びに関連づけて
お伝えしていけたらなと思っています

恋愛にだって使えるツールとして紹介していきますね

 

歴史に学ぶ、存在感の大きな女の在り方

できる男が一生そばにおきたい女性の秘密

ねねさん

この人は、正真正銘の日本一の「あげまん」
私が大好きな歴史上の女性人物

豊臣秀吉の奥様

「ねね」さんです

今日は、ねねさんのお話しをしていきたいと思っています

 

秀吉さんとねねさん

ねねさんは、最強のあげまんです!

ねねさんは、「高台院」とも「北の政所」とか
おねとかいろんな名前で呼ばれています

 

「北の政所」っていうのは
平安期からある呼び名で

摂政・関白の正室の称号のことを言うそうです

 

秀吉の呼び名もそうなのですが
「太閤秀吉」なんてよく耳にします

秀吉の出身地、名古屋市中村区には
太閤通りという道路名もあるくらいです

本来は「その任を譲った前関白」を
意味する普通名詞だった「太閤」ですが、
秀吉以後、もっぱら秀吉のことを指す固有名詞になりました、

それと同じように、
それまでは「摂政関白の正室」の
称号だった「北政所」も、このねねさん以後は
もっぱらねねさんのことを指す
固有名詞として定着し今至っているそうです

ねねさんの夫の豊臣秀吉のこと

今でいいう成り上がり

農民からの出世

有名な信長の草履を温めた話しから

桶狭間の戦い

始めは織田軍の諜報係として
戦うまえのスパイ的役割をしていたのではないかと
言われています

そんな中、戦いごとに功績を上げて

とんとん拍子に出世していくわけです
命がけで、信長を守ったことも、
1度や2度じゃなかったはずです

秀吉の偉業はねねさんが支えていた

その偉業の裏には、常にねねさんが
影で支えていたと思われるんです

そもそも、二人は恋愛結婚

当時って、戦国時代のことなのですが
このころは政略結婚がほとんどで、
恋愛結婚なんて考えられなかった

しかも身分もねねさんのほうが高い

 

そして、肖像画で見る限りでも
とても秀吉はイケメンではないし

ねねさん、どこがよくて結婚したのかまったくわからない

無理やりの政略結婚やいいなずけでもないとした、
百歩譲って結婚するかもしれない

相手がすでにいいとこのぼっちゃん
当時は家柄で、出世もだいぶ違っただろうし

そう考えれば、ほんとに謎ばかり

 

男の価値

男の強さ

男の価値、女性が本能的に選ぶ男の価値は

強いか弱いか、だって言われれいる

その強さの象徴が現代だと、
収入だったり職種だったりするのだと思う

結婚した当時、おせじにも秀吉が強そうだったとは、
思われないけれど、きっとねねさんは、
秀吉の将来性をみてとったのと、
秀吉の熱い思いをくみ取ったのではないかな

男性の気持ちをくみ取れる女性って

モテるというか、男性から大事にされやすい
ねねさんは、とても秀吉から大事にされたのではないかと思う

男性が若いのなら

だから、現代の若い女性は彼の将来性を
大事にして自分が育てていくつもりのが
上手くいくんです

できあがった男がいいのなら

うんと年上でいいじゃない

ちなみに秀吉の側室で有名な淀君は
秀吉と32歳ちがってたそう

まあ、これはおいといて

ねねさんが秀吉を育てるつもりがあったかどうかは別として、
ねねさんは、そばで秀吉を見ていて、
支えていこうと決断できたのだと思う

そして、結ばれることになったのかな

秀吉はがんばるがんばる

結婚してからの
秀吉の快進撃は、
歴史の教科書を観ればわかるし、
テレビドラマにもなってるので、皆様もご存じの通り

 

これを見ていても
人は応援してくれる人がいる、支えてくれる人がいると
2倍にも3倍にも10倍にも力を発揮できる

秀吉の場合は100万倍くらいのパワーを
ねねさんにもらったんだと思う

恐るべし、ねねさんのあげまん力

 

そして、ねねさんは賢い

戦国3賢女

と言われるけれど、たぶん群を抜いている

当時の女性って、歴史に名を遺すことってあまりない

織田信長の正室と言われる濃姫は実は、
本名はいまでも不確かなままだし
「おんな」という記述しかないとも言われてる

 

そんな中、さっきお話しした
「北の政所」もねねさんを刺すくらい
有名な呼び名となってしまっている

どれくらい、このねねさんのすごいかがわかる

結婚後も変わらず尽くす

秀吉が、長浜城主時代、

あっ、ここは、秀吉が最初に信長からお城をもらったところ

そして、長浜では
秀吉はお城はもらったけれど、当時はまだ戦国時代
遠征、遠征でほとんど家にはいなかった

けれど、城をしっかり守って長浜を繁栄させたのは、
ねねさんの力が大きいんです

長浜移住者には、税金を免除したり、楽市楽座をしたり
そういう提案をして、街を盛り上げていったわけです

秀吉は戦いに専念でき、そしてますます、武功をあげていくのです

そして、どんどん、出世していく

ねねさんの子育て

そして、その留守をまもったねねさんは、
そこで子育てもしている

 

ねねさんは、子供は生んでいいなけれど
秀吉の親戚の子や後に家臣になる、
秀吉が中村時代の近所の子供たち

中村は、秀吉の出身地、現在の名古屋市中村区

そういう子が、ねねさんに可愛がられることによって、
戦国の世で出世していったのです

出世した子供たち

それを傍らでみている秀吉は、ねねさんを捨てられるはずがありません

だって、そうやって育てた子の中には、
加藤清正や福島正則など、
後世に名を残すくらい活躍した人が何人もいた訳ですがら

その子たちが、秀吉の右腕になっていくわけです

浅井3姉妹

秀吉はこの3姉妹をひきとった時期がある

柴田勝家がお市の方とともに、
戦いに負けてお城に火をかけたときです

お父さんを2回、お母さんまでなくした3姉妹
その時だって、世話をしたのはねねさんだろう

実子はいなかった

子供を授からなかったことは、当時の状況からすれば
とても、女性としては、厳しい状態なのは、おもんばかられる

それでも、秀吉とねねさんは秀吉が死ぬまでずっと
近い関係でいたのだと私は確信している

それは、こうやって自分の子ではないけれど、
たくさんの子供たちを愛情込めて育ててきたのだから

 

そもそも、淀君だってねねさんに
お世話になってるはずだし
精神的にかなり支えられてるはず

そうでなければ、秀吉の側室になることはできなかっただろう

 

淀君とねねさんの関係は?

二人の関係はどうだったのかと
下世話に考えてしまうだろうけど、

ねねさんですから

きっと、上手く関係を築いていたと思う

すごい確執があったみたいに小説や
テレビドラマでは表現されるけれど

当時の価値観は今と違うから

 

知的なのに甘える女はモテる

それにねねさんは可愛いところがあって、
こんなに知的なのに、男性に甘えるときは
甘えられる人だったみたい

秀吉は、長浜時代になると
そのころの強い男性にありがちな
側室を作りまくります

そういう寂しさややりきれなさを、
なんと上司である信長に愚痴った手紙を送っているんです

なんか、かわいくないですか?

いつもいつも甘えてばかりの女性だったら、
信長も鼻にもかけないでしょうが、
ねねさんの訴えだからこそ、
仲に入ったりできたのでしょう

実際にそういう手紙が残っているのが面白いです

 

そして、秀吉もちょっとは反省する
そういう、ちょっとしたやきもちが可愛く思えるくらい
愛されたいものですね

いつも、いつも
「したい」「ほしい」を言っていたら

こうは、いきませんから

秀吉亡き後

子供時代にお世話になった

加藤清正や福島正則だって、
秀吉がなくなったあともことあるごとに
ねねさんに相談に来たそうです

 

秀吉が亡くなったあと、ねねさんは出家して高台院となります

今、京都にある高台寺は秀吉の菩提を弔うため
ねねさんが建立したそうです

それには、徳川家康の協力があってそだとも言われています

徳川2代目の秀忠にしても、
ねねさんに幼少時代に可愛がってもらったと言われています

秀忠の正室は、淀君の妹ですしね

そうあの浅井3姉妹の末っ子です

 

高台寺の隣にある
圓徳院、
ここでねねさんは晩年暮らしておられたそうですが

このお庭、私事ですが、
京都で一番好きです(^^)

そこには、徳川家康をはじめたくさんの
大名たちが、ねねさんに会いに圓徳院を
訪ねたと言われています

それくらい影響力のある人だったのですね

豊臣家は滅びても

そして、豊臣家は滅びるわけですが
ねねさんは、寿命を全うしています

そして、亡くなるまで高台寺で眠る秀吉を守り続けたんです

美しいですよね

いろいろ、言われますが

私はこの二人の美しさを信じたいんです

で、亡くなった後は高台寺の中の霊屋で、
ふたりなかよくならんで祀られています

ねねさんのご遺骨は本物が

秀吉は骨はどこになるか謎なのだそうですが

以外にここにあるのが本物なのかもしれないです

ないふりして、ねねさんが守ってたのかもしれないなって

戦国ロマンでいいんじゃないですかね

お二人は亡くなって、やっと静かに仲睦まじく
過ごしていらっしゃるのかなって

これも私の願望ですが

そうだったらいいなって思います

 

今日は、ねねさんについてお話ししました
ねねさんのあげまん力を使って
将来性のある愛情深い男を見つけて
幸せな結婚しましょ(^_-)-☆

杉浦由実でした

 

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